留年しました

 まぁ嘘です。

 

 しかし、全くの嘘というわけではない。知っている人は知っていると思うが、私は飛び級で周りより一年早く 四年生が受ける大学院入学試験をうけ、ペーパーテストには合格した。

 私の受ける大学院では、ペーパーテストに合格した者だけが面接される。面接で落とされる人は実際皆無であり、最終的な意思確認程度としてしか機能していない。

 ではペーパーテストに合格した私が飛び級に成功したかというと、そうではない。その詳しい事情について、何度も知人から質問を受けるためにこのブログにしたためようと思う。イキリオタクの自分語りに興味がないという人はここでブラウザバックを推奨する。というテンプレはさておいて、せっかく書いたので読んでほしい。

 

 私は大阪大学に入学する以前から飛び級制度が存在することを知っていた。また、隣の学科では毎年10人程度の学生が実際に飛び級していると聞く。その学科ではGPAなど関係なく、四年生と同様の試験を三年次に受験し、合格すると大学院に一年早く入れるというシンプルなものだ。私の学科では10年間ほど飛び級試験を受けた学生すらおらず、情報がなかったが、私は隣の学科と同様の要領だと考えイキって一年早く受験することを決意した。

 大学生なら誰でもわかることだが、ほとんどの大学生は一年間で学力など1ミリほどしか伸びない。もちろん私も例に漏れない典型的な大学生である。鳴き声はもちろん「ワンチャンあるっしょ」だ。だから3年次に受けようが4年次に受けようがたいして変わりはないのである。ネットで勉強方法を検索し、問題集を解き、過去問を分析・理解する。その当たり前の勉強をこなして私は院試を迎えた。

 ミスも多々あったがペーパーテストでは合格点を突破したらしく、私の受験番号は面接者一覧に載っていた。うちの大学院では面接で落とされる者は皆無であるため、成功したのだなと思いうれしく思っていた。

 しかし、一通り面接が終わりかけたところで私は一枚の紙を渡された。そこには飛び級合格のもう一つの条件として「GPA3.0以上であること」と書かれていた。私はGPAに全く興味がない。GPAという文字列もどこかの洋服ブランドに見えてくるくらいだ。私はそのGPAなるものを高校の通知表と同じくらい軽視し、Cで単位をとることを美徳とさえ思っていたので、著しく基準に達していなかったのだ。私の学科では普通の学生にはGPAを利用する機会などないため、こんなところでそれが求められるとは思いもしなかった。それに隣の学科では飛び級にGPAは必要ないとのことだったため、完全に意識していなかった。

 その後、配属予定の研究室に呼び出され、次のセメスターでどうにかGPA3を超えないか親身に計算してくださった。その結果は不可能を数値化したようなもので、私の成績は次のセメスターで30コマ取り、そのすべてSでとらなければGPA3に届かないほど悪かったのである。一つでもAをとるとすべてが水の泡になるこの成績上げゲームから私は辞退した。Sを30個も取るなんてドラゴンボールを7つ集めるより難しいと思う。

    話を聞くと、今までにGPA3もない人が飛び級試験に受かった前例はなかったらしく、この成績の条件がネックになることはなかったらしい。

 そして、様々ないざこざを経て(ここに関してはネットに書きたくないため是非私に聞いてみて欲しい)、私はすべてを「話のネタができたしいいや」と水に流すことにした。どうせ一年後にするはずだった院試勉強を先にやっただけだ と思うことで自分を納得させることにした。当時はひどく絶望し、実質一年留年したような気持ちで落ち込んでいたが、幸い性格が悪い私にも素晴らしい友人がたくさんいるため、残りの夏休みを楽しんでいる間に完全に立ち直ることができた。

 

 これが私に起こったことの概要である。そのため私は今年も院試を受ける。二回目なので出願も試験も慣れたものである。今もろくに勉強せずにyoutube月ノ美兎の配信を見ながらのんきにブログを書いている。関連動画のKUNやquiz knockも見てしまうだろう。そして、このブログを書き終えたらNetflixBLACK LAGOONでも見返しながら寝落ちしようと思う。

 今年また合格した暁には、去年のペーパーテスト合格通知と今年の合格通知を二枚並べてネタツイでもしようと思う。その時は慈悲の「いいね」でも押してくれ。落ちたらそれはそれで盛大に笑って欲しい。

 それでは。気を付け。着席。