ゼロツー先生のマッチポンプ教室

 これは私自身が終始乗り切れなかったアニメ『ダーリンインザフランキス』の「いいね」を探す記事だ。

 物事に前置きや接続詞はいらないと森博嗣も言っていたので早速この作品全体の大きな構造や主題について軽く振り返る。

 

 物語はコドモ-オトナという対比構造を前半で押し出してきている。良くある構造だが子供の頃はこういうのが大好きだった。しかし、欅坂46の歌詞やダーリンインザフランキスのようなコドモ-オトナという構造にこの記事を読んでいるオタクくんはもう存在しないので勘違いしないでほしい。

 ではこの主題は最終話の思念体エンド(ドタキャンマン[1997-]による造語 )でどのように昇華されたかというと、自分の考えた範疇では全く回収されていない。彼らはオトナではなく大人になる道を選んだらしい。そうか。

 

 ではマクロに納得いかなかったこの作品の良かった点はどこにあるのか。

 

 ここではシンプルにヒロとゼロツーのプロットだけを考える。もちろん本来は第13都市部隊のコドモを包む島宇宙的な空気による人間関係の変遷全体に注目すべきである。

 ヒロは10番台の優秀な存在で圧倒的な自己肯定感を覚える幼少を過ごしている。それはイチゴやミツルからの気持ちとしても現れている。そんな彼が落ちこぼれたきっかけを作ったのはゼロツーで、その彼を救った(フランクスに乗れないという原因そのものへの処方箋になっていて好き。)のもゼロツーであり、結果だけ見ると全くひどいマッチポンプ女だ。

 しかし、この二人の事件はイチゴやミツルの気持ちへつながり、イチゴの気持ちはゴローからの気持ち、ミツルのそれはココロとの関係にドミノ式につながっている。このゼロツーとヒロの物語から同心円状に広がる各々の気持ちの必然性こそが素晴らしい点の一つだ。

  (ヒロとイチゴは前者が若番の方が良かったと思う。)

 

 さらに細かい点ではゼロツーという存在への畏怖と親近感の使い分けが視聴者自身も13部隊のコドモと同じく感じ取れるような設計になっていたのが良かった。無邪気にふるまう彼女を見ているとコドモ達と同じなんだなと安心する一方で、威風堂々と軍服を着てオトナに連れられる彼女には特異さを感じざるを得ない。つまり軍服超カッコイイということ。

 

  さらにさらに細かい点ではフランクスに乗る時のピスティルのフードみたいなのがかっこよかった。これは操縦時にはディスプレイになるという機能性を見せるだけでなく、ステイメントとの体位に必然性を持たせる要素になっていることに感動した。実質セックスのようなシーンにオタクを納得させる因子を組み込むことは私は重要だと考える。なぜならオタクは面倒くさいので。

   ここまで自分が気に入った構造を挙げてみましたが、他にはもう思いつきません。マグマエネルギーが切れてきたので。

 

   最後にこれは偏見ですが、ダーリンインザフランキスの感想の7割は「青髪負けヒロイン」と言いたいだけ。騙されてはいけない。タイプライターの前に座らされているのはいつでも君なのだから。